ドラえもんの構造

今日は、
ドラえもんの構造について、病的な妄想力を使って書く。
という事をやります。

ドラえもんがどういう素材や部品から出来ていて、という話ではなく、
物語としてのドラえもんに着目して、それがどういう構造で出来ているのか、
作中では語られない、見えない部分を明らかにして
藤子Fもおそらく意識していなかったであろう
物語としてのドラえもんが持っている意味を記述します。

実際、
ドラえもんはすごいと思うのです。
まず、パソコンで「どらえもん」と打つと漢字変換で「ドラえもん」と一発でなる。
日本人で知らない人はまず居ないだろうし。
世代を超えて愛され、大人になっても「ドラえもん」という言葉に言霊を感じる人も多いだろう。
作者は亡くなっているけど、今でも新しい作品が作られ続けている、
商業的な成功はポケモンに譲るけど
文化的な意義は間違いなく大きい。

ヘタレを救う、非日常な存在。
という構図を一般化させた功績も大きい。
この構図は「ターミネーター2」にも継承されているくらいだ。

北斗の拳マジンガーガンダムは批判されることもあるし、ありうるけど
ドラえもんは批判されないし、『批判されえない』

これはなんかあるな、
と思う次第です。

では行きます。

まず、ドラえもんという物語の雛形となるストーリー
・何をやってもダメなのび太の元へ、
未来の子孫セワシからネコ型ロボットドラえもんが贈られる。
ドラえもんの出す秘密道具をつかって
のび太はいじめっ子のジャイアンスネ夫に仕返ししたり、
果たしたかった望みをかなえようとするが、
道具の使用法をあやまり、しっぺ返しを喰らってドタバタなオチを迎える。

各話毎に、違いはありながらも、大体上記が下敷きとなる。

次に物語の構造を構成する要素。

まず日常側
のび太:勉強も運動もダメな男の子。一人っ子。
ジャイアン:いじめっこ
スネ夫ジャイアンと一緒にのび太をいじめる
しずか:ヒロイン
出来杉:勉強も運動も性格も完璧。登場回数は多くない。
パパ・ママ:のび太の両親

次に非日常側
ドラえもん:未来のロボット、のび太の求めに応じてひみつ道具を出す。
ひみつ道具:未来の道具。現代では不可能な事を実現する。
セワシドラえもんを現代に送り、自分の不幸な境遇を改善しようとしている。

この要素を俯瞰して、いくつか着目点を挙げる
スネ夫の役回り
考えれば考えるほどスネ夫は物語で重要な役割を果たしている。
スネ夫をこの構造から取り除くと、
単なる「ジャイアンのび太」の構図になり、いじめというよりは仲の悪い二人になる。
スネ夫が居る事により、のび太は少数派になり、
子供の世界の中で迫害をうける存在となる。
つまり、スネ夫の存在により
●「理不尽な世界 対 ボク」という構図を成立せしめている。

ドラえもんはイジメの対象ではない
ジャイアンの理不尽が降りかかるのはのび太であって
もっぱらドラえもんは家に居てのび太が泣いて帰ってくるのを待つだけだ。
ドラえもんのび太と一緒にジャイアンリサイタルでひどい目にあわされる話も
あるにはあるが、
主としてドラえもんのび太の日常の傍観者というポジションからスタートする。
この事から、ドラえもんのび太とは明確にちがう主体である事が浮かび上がる。

ドラえもんという物語は
セワシのび太に非日常な力を与える
という話ではなく
セワシのび太に非日常にアクセスするための、きっかけ(又は客体)を与える
という話なのだ。
次の項でこれをさらに深める。

ひみつ道具ドラえもん〜(1) どらえもんというゲート
ドラえもん自身が非日常的な力を持っているわけではない、
これはアトムやアメリカンヒーローやハットリ君との大きな相違点だ。
力はむしろドラえもんが出すひみつ道具が持っている。
しかしながら
のび太が非日常の力にアクセスするためには
ドラえもんにまず何が起こったのかを言わなくてはならない。

これは一見面倒だ。なにかあるな。

泣いて帰ってきたドラえもんの役割は、
のび太に最適な道具をアドバイスするコンシュルジュまたはコンサルタント
という役割とは少し違う気がする。
どちらかと言えば
−カウンセラー
に近いのではないだろうか。

非日常な力にアクセスするためには
・自分が一体どんな理不尽にさらされたのか
のび太が説明する段階がある。

ドラえもんはそれを聞いて、
「じゃあこれをこうつかうんだよ」
と道具をのび太に与えるが
道具を与える以前に
のび太の聞き役
という重要な役割を果たしている。

カウンセラーというのは「聞くのが仕事」だそうだ。
のび太が苦しみを「わかちあえる」存在というのは結構大きい

例えば、ドラえもんという要素を物語から取り除くと
のび太が苦しみを分かち合えるのは「両親」だけになる。
(しずかちゃんもいるが、しずかちゃんも時としてのび太に対する理不尽の原因となる)
そう、のび太は一人っ子なのだ。
そして10歳前後の男の子でもある。
「両親からの自立をそろそろ求められる」年齢であり、一方で「まだまだ甘えたい」
相互背反するバインドに悩まされる最初の難しい年齢なのだ。

そんな渦中ののび太がすがれる相手、としてのドラえもん
●実際に役に立つかは置いといて、すがれる存在がある。
という希望はどんな年代の人間も抱くだろう。
どらえもんの人気の秘密はここにもある気がする。


ひみつ道具ドラえもん〜(2) 道具としてのドラえもん
ひろい意味ではどらえもんも道具である。なんせロボットだ。
特にセワシから見ると『自分の願望をかなえる為の道具』なのだ。
にもかかわらず、
セワシドラえもんの関係はあまり深くは描かれない。
これはなにかあるな。

上記を図にして整理する。
セワシ→(行使)→ドラえもんセワシの願望を叶える為に
どらえもん→(提供)→ひみつ道具のび太の為に
のび太→(行使)→ひみつ道具のび太の願望を叶える為に

こう書くと、どらえもんの行動原理に疑問が生じる。
ドラえもんが道具を出すのは作中ではのび太の願望を叶える為にと描写されているが
設定に従うと、実は主人であるセワシにそうせよと命じられているからだ。
にもかかわらずドラえもんはそれを前面に出さない。
なぜだ。

それはドラえもんが「道具ではない」と描かれている為だ。
あくまでも友達なのである。
友達だからこそのび太の為に行動するのだ。
実はドラえもんの設定には上述の矛盾があるが、
あえて
●道具としてのどらえもんの役割は読者の目から隠されている
(作者がそう意図したわけでなく、そうならざるを得ない)
セワシドラえもんの関係を深く描写しようとすると
どうしてもドラえもんの「道具性」が前面に出てしまう。
だからドラえもんセワシの関係はかなり淡白になってしまう。

さらに言えば
ひみつ道具を出すドラえもん
という構図になる事で更にドラえもんの道具性は薄まる。
道具は道具を出さないのだ。

このように、
ドラえもんは道具ではない、という役割を補強する為に
こういった述語が用いられている事がわかる。

先述の「ドラえもん=カウンセラー」説はここで補強される。

出来杉の登場が少ない、のび太との絡みが少ない。
出来杉をレギュラーに昇格させると、のび太はかなり哀れになる。
多分のび太の持つ弱さや人間としてのこずるさが浮き上がるだろう。
のび太の主人公としての魅力を損なってしまう。
あまり登場しない理由はこれでいい気もするが、もう一段深く考える

のび太出来杉が直接的な会話をしているというのも場面としては少ない。
のび太は遠くで出来杉を傍観して羨望をつのらせるだけだ。
なんで自分はああじゃないんだ。
ドラえもんに泣きつく。
出来杉が登場する回はだいたいこのパターンだ。
しかし
●毎回ではない
ここがポイントだ。

ああなりたい、こうなりたい。あの人みたいになりたい。
というのは子供でなくても思うものだ。
しかし人間の悩みがそれですべてかというとそうでもない。

ジャイアンスネ夫に代表される、理不尽の被害、もあり
ママに叱られる、役割の強制、もある。

羨望や嫉妬は悩みの一種でしかない。
他にも人間が抱える苦悩はたくさんある。

出来杉は苦悩の一種を体現させる為の役なのだ。
それ以上は実は求められていない。
のびたを取り巻くコミュニティを体現する為の凝った役割を要求される
ジャイアンスネ夫とは大きい違いだ。

とりあえず要素個別の考察は以上。
次に
古典との比較もやってみる
物語にはパターンがある。
パクッたとかヒントを得たという事とは無関係に、
面白い話のパターンは実は有限個しかない。数えたことはないけど。
基本的にストーリーというのはギリシャ神話かシェイクスピア等にどっか似てくる。

ドラえもんに類する出来るだけ古い物語を考えると、
「人間とそれを助ける超常」という構図では
旧約聖書新約聖書が近いかなとも思ったが
旧約では非日常の象徴である神は人間から遠いし、
新約では非日常の象徴であるキリストが信者と一緒に迫害されるので
非日常の象徴であるドラえもんのび太と友達として関わる
ドラえもんとはちがう。

パッと思いついたのがゲーテの「ファウスト」だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88
主人公の客体となって力を与えるという構図がぴったりだ。
非日常の力のしっぺ返しという場面もある。
主人公が絶望しているというのも近い。
いい線行ってると思ったが
ドラえもんによるのび太の誘惑」という要素が抜ける。
ドラえもんはむしろのび太を正しい道に導く存在として描かれる
ので悪魔ではない。

そこでこう考える。
●「ファウスト」×ー1(堕落の要素)=ドラえもん
なのだと
堕落の反対語を成長とすると
ファウストにおける悪魔の行動原理を反転させるだけで
ドラえもんファウストは重なりそうだ。
のび太ファウスト)を誘惑して堕落する代わりに
ドラえもんメフィスト)は彼をよりよい道に導こうとするのだ。

それは何を意味しているのか?
以下主観が増えます。

ファウストが立脚しているのは、俺の見るところ
ピューリタン的な、欲を否定する価値観だ。
欲の発露が悲劇を招く、したがって禁欲に美徳がある。
ゲーテがそう思っていたかは別として、
欲の否定が無いとファウストは成り立たない。
欲を発散しようとしてしっぺ返しをくうのだ。

一方で、
ドラえもんにおいてもしっぺ返しは存在する。
そのしっぺ返しを引き起こすのもひみつ道具の魅力に取り付かれた
のび太またはジャイアンスネ夫の欲だ。
してみると
ドラえもんは禁欲を奨励しているのか?

そうではないな

むしろ、欲を満たそうとして行動するが良い。
という事でドラえもんのび太ひみつ道具を提供する。
絶望や欲の充足が肯定的に描かれるのだ。
しごく現代的と言える。

一方でひみつ道具によるしっぺ返しはそれでも付きまとう。
それは物語としてオチや転換をつけねばならないから当たり前なのだが
ファウストにも、ドラえもんにも、結果生じる物語の「折れ目」これが鍵だ。

結論から言えば、
目的が正しくても、手段を誤ると、痛い目を見る。がドラえもん
手段はあっても、目的が正しくなければ、痛い目を見る。がファウスト
どちらにも共通しているのは
●大きな力には応分の責任と代償が発生する。

ファウストドラえもんも、力に対する代償をどう購うか、あるいは購えないか
という事が物語における山場であり、見所である。

☆おおいなる力の持つ、両面性

これがファウストドラえもんに共通する、人を引き付ける『面白み』なのだ。

まとめに入る。

・要素の解析で示したように、
ドラえもんは『力を持ったすがれる存在』である。①
そして
・古典との比較で示したように
ドラえもんは『その力による代償』を問いかける。②

①の安心感と②の緊張感
これを巧妙に両立せしめているのがドラえもんという構造なのだ。
①を静、②を動と捉えてもいい。

ガンダム、ヤマト、北斗の拳エヴァンゲリオン
はどちらかと言えば
・緊張感
のみを供与する。
神経で言えば、交感神経系の快感なのだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%84%9F%E7%A5%9E%E7%B5%8C

一方、
サザエさんクレヨンしんちゃんアンパンマン

・安心感
を供与する。副交感神経系の快感だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E4%BA%A4%E6%84%9F%E7%A5%9E%E7%B5%8C

この両方を内包する物語が他にないか考えてみる。
が、なかなか見つからない。
(もちろん、ターミネーター2に代表されるように、ドラえもん以後の作品としてはある)

これはドラえもんというロボットの役回りが、
カウンセラー的傍観者であり、メフィスト的力の提供者でもある。
という二面性に依存するところが大だろう。

そういうアンビバレントなキャラクターを生み出したという点で
ドラえもんの意義は大きい。

まだまだいける気がするが
だんだんクラクラしてきたのでこの辺にしとく