「私生活を犠牲にして仕事を頑張った」自慢は恥ずかしい

4月に入社した新入社員たちも流石に仕事に慣れるのはもう少し先かもしれないけど、慣れるよりも早く「オレこんなに残業した」自慢を始める新入社員達は出てくるだろうな

新入社員だけではない、
オッサンにも「こんなに残業した」という事をわざわざ自慢する人たち割といる
それどころか
「仕事の為に私生活をなげうった」
「オレがこんなに仕事にうちこんだせいで家族には迷惑かけた」
と自分が「どれだけの犠牲を払ったか」を自慢げに語る人にしばしば僕は出会う

こういう物言いは自虐風自慢のつもりだろうが全く自慢になってない。
僕から見ると恥ずかしい事を喋ってる。
どうしてこういう喋りを恥ずかしいと思うべきかちょっと書かせてください


一言で言えば
モノの価値が良くわからない人はその価値を払った金額で計ろうとするから。
つまり
上のような自慢をする人は自分の仕事に価値があるのかないのかわかってない
仕事の価値を上手く説明できないから「この仕事に払った犠牲」を自慢している

わかりやすい例と対比するなら、「このバッグ 20万円なの〜」と払った金額を自慢してバッグの良さをわかってない女性とこれらのオッサンは大差ない。

もちろん別な仮説もあり得る
自分の仕事の価値が大したことないと理解しているからこそ、唯一自慢できる部分である「払った犠牲」を自慢しているのかもしれない。だとしたら事態はもっと深刻ではあるけどね

どちらにしても「仕事の為に払った犠牲」を自慢げに語る人は仕事が出来ない。

仕事が出来ないから「払った価格」そのものを「質」だと考えてしまう
このような頭の悪さを、仕事の価値がわからないのは仕方ない新入社員がともかくオッサンまでやってしまう、こういうのが普通になる事を僕はとても心配している。
というか既に十分すぎるくらいこの風潮に支配されていると僕は身の回りをみていて感じる。なんとかしたい

どうして僕はこれをなんとかしたいのか
「何かを犠牲にして働く事が素晴らしい」という世界は貧しくなる一方だから。

反対から見れば
「残業自慢」「犠牲にした自慢」は結局の所人を雇う側を有利にしているだけ
だってそうだろう
「払った金額が高ければ高い程いいモノだと思い込んでくれる客」ってのは売る側からすれば逃がしたく客。そしてここで言う「売る側」はまさに雇う側。

つまり
「残業」や「私生活の犠牲」が自慢になればなるほど雇う側の思うツボ
そのようには思えませんか

事実として
「残業を沢山頑張った人」が評価される。仕事の良し悪しとは別に。そういう会社多くないですか

さて、
商売が儲かるパターンには色々あるけど
「商売に関わって働いている人の豊かさを奪って雇う側が豊かになる」
という商売は究極的には長続きしない、流行りの言い方で言えばWin-Loseの関係だから。
長続き出来ないだけでなく、その過程でWIN-WINをやろうとしている商売を蹴散らしていく。

残るのは「いろんなものを犠牲にしたけど何も得られなかった人たち」と「彼らのプライド」だけ。

カネも残らない、資産も残らない、豊かさも何もかもこの世界から無くなる。
僕はそういう流れの中にいる事はいやです

だからこのような転倒をやっている人がいたら「恥ずかしい」と思って欲しい
それがこのくだらない貧しさの流れを止める事になるから


残業をしてしまう、私生活より仕事に打ち込んでしまう、
そのことそれ自体は起こり得るし、僕も相当それをやった(自慢ではなく)
けど
「おれ今月こんなに残業してしまったよ〜」と自慢げに語るようなものではない。
そういう事から新入社員に教えてってもいいよね。