「秒速で一億円稼ぐ」のような早い話の危なさ

「秒速で一億円稼ぐ」という本の広告を電車内でよく見る。
たしかに「速さ」ってビジネスにはすごく大事で、40年で一億円稼ぐ技と一秒で一億円稼ぐ技は雲泥の差がある。

特に若者にはこの手のスピード信仰がある。
これは考えてみれば当たり前で、この先何十年続くか続かないかわからないやたらと長い路の前に立たされている時に、とにかくさっさと済ませる方法があるのならばそれに飛びつきたいという気持ちはよくわかる。
だからこの本をマーケしてる人たちはターゲットにうまく刺さるメッセージを選定したと思う。

このように
早さ、は好まれる。が危ない
という話をしたいと思います。

A:早い論はどのようにあって、それはどのようにわかりにくいのか、どのように流行るのか
1:早い論の列挙
経済学や心理学の分野では人間の速い判断は間違いを起こしがちであるという事が割と証明されている。

プロスペクト理論
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E7%90%86%E8%AB%96:title=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E7%90%86%E8%AB%96
]「認知バイアス
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9:title=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
]
つまり意思決定のショートカットを促す回路が僕らの中にあり、人間はそれに従いがちで、それは正しいとは限らない。
とこういうことはもう事実としてある。

さらに
上記の例のように経済的/定量的な分析にかけられる程には認知されていないけど、
結論、もしくは合意を早くショートカットで得やすい論の型はもっとあると僕は直観する。

例えば
ー物語的な論
 ・陰謀論:「世界は闇の勢力に支配されている!」
 ・反体制:「革命を興さなければいけない!」

これらの論は「早さ」と同時に「面白さ」をもっている。反体制が面白いからこそ、これだけ多くの人が、ヤンキーや労組やネトウヨになる。

物語、という程ではないけど、以下のような論も持て囃される。
−等価交換の関係
   ・義務と権利:「権利は義務と引き換えにしか得られない」
   ・努力/苦痛と報酬:「報酬を得るためには苦しい事を我慢すべき」

こういう「何かを出すことで何かが返ってくる」という論は一見構造的で数学にも似た「美しさ」を醸し出す。
けど美しいだけで、それが正しい保証はなんもないんだよね。
例えば「報酬を得るためには苦しい事を我慢すべき」なんてなってるけど、これは奴隷商人を利するだけの論で、
実際のところは最小の働きで最大の効果を得られるように動くのが最も合理的でしあわせ。
いみじくもこの稿の冒頭で書いたことに触れるね。

あと、以下をつかった論も
ー権威
 ・神や法や偉い人:「法律違反だからダメだろう」「マルクス曰く」
 ・難しい論:「高度な理論をつかってるから正しい」
 ・苦痛、苦役の礼讃:「貧乏は人間を成長させる」
 ・自然信仰:「地球とともに生きるべき」

難しいから早い、ってのは違和感があるかもしれないけど、
あまりに明朗で簡単すぎる論には人は警戒するので、逆に長すぎる論に魅力を感じるという事はある。
「早さ」を回避しようとしてかえって早くなってる、というよくある構図ですね。
また
一般的に確認される権威だから良い、というわかりやすい権威主義の逆に
パンピーから見た善しとされるものの反対だから良い、というスノッブなアプローチもある。

2:早い論の特徴

上に挙げたような早い論には共通する特徴がある。

●登場人物の少なさ
物語的な論に特に顕著。悪い人、と善い我々。といった具合に。

●覚えやすい
登場人物が少なく、それらの動機がわかりやすいが故に、早い論は覚えやすい。
●伝えやすい/共感されやすい
覚えやすい、が故に、伝えやすい
だから遅い論に比べて早い論はそれへの理解の早さから同意を得やすいだろう。

3:早い論はどのように流行るか

早い論は上記の特徴が故に、何度も発話され、何度も同意された、けもの道のような行き易い論だ。
飲み屋で交わされる会話のほとんどはこれだと僕は見ている。
アルコールのせいでうまく回らない頭にとって早い論は使いやすい。そして同調が必要とされる場に同意されやすい論は歓迎される。
こーいうときあまり一体感を得られないような発話をする人は発話空間からキックアウトされる。

発話空間では反論可能性の低い発話が選ばれる傾向がある。


どういう集団で早い論は選ばれ、膾炙するのか?
例えば、新左翼運動っていうのは「陰謀論」「権威」「難しい」と、活動を速くさせる為の要素が全てそろっていた。若者の為に。
逆に死期の近い方も若者とは別な理由で待てないわけで、老人の人の論に速さが見受けられるのもこういう所以か。
ネトウヨ新左翼老害右派も老害左派も、とどのつまり、待てない人たちのためが早く合意にたどり着くための手段にすぎない。 って事かな。

主義が手段に、ってのはおかしな文だけど、そういう事はままある。
集団としてまとまることが大事な場合、主義を使う事でまとまりを得られる。
そこに危なさがある。

B:早い論はどのように危ないか
体罰は早いか遅いか、で言えば爆速だろう。
論を文字通り身に沁みこます。
同意を得るための手段としてこれほど早いものはない。

けどそうやって得られた同意、というかこのコミュニケーションに価値はあるのか。
伝わったからといってそのメッセージに意味はあるのか。

僕らは伝わる事それ自体に価値を見出していないか。
遅さの方が良いという事はないだろうか。

C:遅い論とは何か逆に遅い論はなんだろう。 秘儀とか伝承には割と遅さが感じられる。例えば神学。 身体的な修得を要求する分野も結論にたどり着くスピードは遅い。  

つまり上に挙げた早い論の特徴の逆
●登場人物が多い
●覚えにくい
●伝えにくい
●共感されにくい
こーいうのが遅い論って事になる。
でもこれってすごくニッチというかカルト。
こういう遅い論を求道しようとすることはリスキーだし、相当なコストも払う。

一方で思うのです
ただ、伝えにくいだけで、こういう遅い論を持っている人は多いのではないかと。

悩みというものがあって、それに対して早い論で答えを出せる事もあるだろう。
例えば、「自分が苦しんでいるのは悪の組織が俺を妨害しているからだ!」
みたいに
ただ、よほど特殊な場合を除いて早い論だけですべての悩みに勝てるというのは想像しづらい

課題がドアで、それを開けるためのカギ穴があって、
悩みに対して正しいカギを探す行為が悩みだとすれば、
すぐに見つかる早い論のカギが合わなければ、何度も鍵束を手繰って合う論を探す事になる。遅い論ってのはそうやって見つかる。
これを繰り返すうちに早い論よりも遅い論の方が浮かび上がる泡のようにちょっとずつ使えるようになってくることはあり得る。

そういうことをずっと反復して来た人は、早い論の伝わりやすさの惑わされずに済むかもしれない。

これは習うよりも慣れろ、みたいなもんだと思っていいんじゃないかな。
これを「早く言えば」 
「逃げずに戦ってきた人は早い論に引っかからない」
となるね。まあ早い(笑)

他方、
カギに対して開くドアを探すというやり方もあるだろう。
早い論を使いたがる人にはこういう傾向がある。
インターネットのおかげで、僕らは解決しやすい悩みを見つけやすくなった。

早く、そして伝わる、
これらはいつもいつもいい事じゃない。
人類の発展のありようはどうもこの二つを重視してきたように僕は見る。

むしろ、
遅く、コトに、当たっていく。
それがあるべき場面。それはどういうものなのか、そんなアプローチがあってもいいんでないの。