「お前は社会に出たらやっていけない」の呪い

母子手帳には「成長曲線」という子供の身長体重が標準的かどうか一目でわかる便利なグラフがついてる。

見たことある人多いと思うけど、こういうの↓
http://pigeon.info/advice/word-1119.html


これを見れば自分の子供の発育が普通の範囲なのか「心配した方がいいのか」が一目でわかる。
今年生まれた娘は二人目の子供という事もあって、さすがに一喜一憂はしないが一人目の息子の時は細かくこれと見比べながら
「ミルクのまな過ぎて、バンドの下線をずっと這ってる」とか
「最近食べ過ぎでバンドを突き破りそう」
とか色々心配になったりもした。

普通とは何か、
こーいう子供の身長体重の場合は、厚生労働省がちゃんと統計を取って調べた疑いようのない明白な事実として提示される。

身長体重以外になるとそうはいかない。
「お礼がちゃんと言えるようになるのは何歳からか」
「友達と喧嘩しないで堪えるようになるのは何歳からか」
「言われなくても一人で勉強するのは」
「恋人ができるのは」
「初体験」
「上司の指示に従えるか」
「場の空気を読めるか」


これらについては、何歳で出来るか、何を持って出来るとするか、については議論の余地が沢山ある。
にも関わらず「これが出来るのが普通」という了解だけがある。
だからこういった基準に添えているか添えていないか、子供の身長体重の発育と同じ位の執着が発生する。
僕は二人の子供の親として経験したからよくわかるし、親でなくともこういった執着を内部外部のプレッシャーとして感じ取った事のある人は多いと思う。
「容姿の良し悪し」なんかも顕著な例

僕の問題意識は、そういった執着があること、と言うよりも
その執着を利用して他人を操ろうとする人がいる事に向かう。

正常であろうとする事、それにこだわり執着するのは悪くない事だと思う。
他人と真っ当にやっていきたいと願う正当な祈りだ。

問題は「お前は正常ではないから正常である俺に従え」と言う人の存在。

ここでやりたいのは、
一言で言えば
社会に出たことの無い子供に「お前は社会に出たらやってけない」と呪いをかけて主導権握る人の発見とその追放。
●発見
「お前は正常ではないから正常である俺に従え」という人
いるかいないか。で言えばいる。

例えばDVの加害者はこういう言葉を使う
「お前は不細工だから俺が面倒をみてやっている」
「お前は社会的に劣っているから俺から離れたらやっていけない」
「自分で部屋を借りる?キミみたいなのに不動産屋は貸してくれない」

子供に対して抑圧的な親やその教育者は
「お前は社会に出たらやっていけない」

または
「誰のおかげで暮らせてると思っているんだ」
と子供が経済的に独立できない存在であることを使って制御する

パワハラ上司は
「お前はうちの会社に見放されたらどこも雇ってくれない」

上記のセリフの幾つかは 母がしんどい [単行本(ソフトカバー)] 田房 永子から抜粋させていただきました。
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とこのように、
「君は世の中の普通から外れた存在であって、
 基準の人の為に作られた世の仕組みでは救済されない」
呪いをかけてくる。

こういう技は率直に言ってアンフェアだ。
若年者、とくに子供は当たり前だけど世の中の普通に対しての情報が少ない。
にも関わらず、
普通である事への執着は老いも若きも”普通”誰もが持ってるんだから、
そこから外れる恐怖をこういう呪いで突かれたら、条件さえそろえば主導権を奪われるよね。 

じゃあ
仮に、このように呪われた対象者が正すべき「普通で無さ」を持っていたとしてだ、
どうして恐怖を持ってそれを正すのが正しいやり方と言えるのか、
「算数が出来ないと社会でやっていけない」って脅さないと人は算数を勉強しないのか
”普通”はもっとやり方がある。例えば算数の楽しさを教えるとか。

ベストでない教育法を、さもベストであるかのように用いる。なぜそうしたいか
それは自分が支配をする側に回りたいから、としか思えない。
こういう人は自分の為に世の中の正義を使っている。

僕はこのような人たち、呪術者たち、に居てほしくない。僕と僕の子供たちの為に。

●追放

ほどいてみれば、
呪術者は常に「自分が正しい側にある事」を主張する。
それを信じているか信じていないかは別にして、そうでないと自分が支配者でいる正当性が成り立たない。

こういう人たちに対して
「貴方は間違っていて、私の方が正しいので、貴方は追放されるべきだ」
と戦いを挑むのはあまりいいやり方じゃない。
何をもって普通か普通で無いか、と言うのは終わらない議論で、下手すれば負ける可能性だってあるし
大抵この手の呪術者は立場が上である事があるので普通の普通さを政治的に決められてしまう事もありうる。

かと言って
「ああ僕は普通ではないそれがどうした」
と開き直るのも良くない、「お前は普通ではない」という構造を暗に肯定している。
このやり方で戦ってきた人が大勢いるのは知っているが、僕の見る限りあまりうまく行ってない。

で、どうするか
個別個別の呪いに対して一つ一つ戦い方を考えていくとまとまらなくなるので
おぐぐりで捉えたガイドの提示だけで勘弁してもらいたい。

僕のおススメは
「普通さなんてたくさんある」「社会はお前が知っているだけではない」という多様性に呪術者を晒す事。

抽象的に言えば、
なるべく広い所へ連れて行く。人の多い所がいい、日本人が少ない所とかいいね。

呪いは大抵薄暗さや視界の悪さを利用する。
だから色んな風な光線のあたる太陽の下へ呪術者を連れ出す。

呪いは、密室でかけられる。
だから例えば家、学校、職場。そういう密室で戦いを挑まない、もしくは。代わりに広い場所、世間や、商談の場、外国で戦いを挑む。

少なくとも、
呪術者と二人きりの密室から逃げる事がまずは必要。
そういう所から戦っていきたいもんです。