日本で革命はあるのか

ロンドン暴動 をみていて感じたこと。

僕らの世代が革命を起こしたくなったらどうすればいいのか。

という視点。

僕らの父親くらいの世代がやりたい放題かましてくれちゃったので
「革命」という記号は「左翼思想」と癒着しちゃってます。
しかも根暗で犯罪的なカテゴリに入っちゃいました。

一方その頃、
三島由紀夫が壮大にスベッてくれたおかげで
ナショナリズム的なアプローチの革命もナシになっちゃいました。

革命の目的を「民主化」に置こうと思っても
どうも民主主義は恥ずかしいものになりつつあるので
今の日本で民主化を求めるのは高度なアートパフォーマンスにしかなりません。

軍産複合体による支配からの脱却、
なんてのも一時期流行りました。しかしながら
かわぐちかいじが「沈黙の艦隊」で盛大に打ち上げて散らしてくれたので
これまた時代遅れになりました。

アントニオネグリが『帝国』という概念を持ってきてくれました。
「変化してしまう事」を組み込んだ新たな「支配」の形態を鮮やかに描いています。
しかし映画マトリックスが下敷きにつかっちゃったので
これまた時代遅れになる気がします。

革命思想、の商店街は
いまやシャッター店だらけです。

さて実務のレベルでは、
自民党」も「民主党」も「党」というまとまりとしては機能していないので
自民党支持者である」「民主党支持者である」という物言いは
意味を成さなくなってしまいました。
どっちかに投票する、という行為は
「ゆっくり死ぬか」「急いで死ぬか」の二択にしかなりません。

こんなときは革命です。
ガラガラポンしてリビルドするのです。

うまい具合に鬱屈もたまっています。

しかしヒマがないのです。

そもそも、前述のとおり
どんな思想で革命をするのか、それがないのです。

そして革命が恥ずかしいのです。

「だれのおかげで飯が食えてるんだ」
と言われたら、そりゃあ今の体制の御蔭です。
だから革命をやると恩知らずになり、
大なり小なり儒教的な影響下では恥ずかしい事になってしまう。

特に僕について言えば
総合商社というおやじエスタブリッシュメントのスタッフなので
僕が革命思想なんかやりだしたら、家族を養えない。

革命思想をやんなくても、わりと喰えちゃってるのが問題な気もする。
それは僕の実感で申し訳ないけど。

革命思想をやるには、中学生か高校生くらいのメンタリティが一番ちょうどいい
親のありがたみを意識せずに好き放題いえる。
そして、親に反抗しないと自分のレーゾンデーテルが侵食の危機にある
もしくはそう錯覚できる。
それくらいの幼稚さが必要なのです。


しかし繰り返しになるけど
その幼稚さはもう上の世代がやってくれたので
僕らがそれをやるのは古臭くなってしまう。


ちょうど一周したので切り込んでみますか。

赤木 智弘は
革命の代わりに「戦争」を希望しました。
僕はそんなのよりも無血革命を望みます。

2ちゃんねらーは「祭り」でがんばってるみたいです。
エスプリとユーモアは良い革命の方法論ですが
それ自体が目的化しちゃっています。
ちょうどジョンレノンの活動の芸術性「だけが」評価されて
メッセージが隠れてしまったのに似ています。

成功例を探してみましょうか。
アメリカは選挙を通して革命を実現しました。
すくなくとも
「なにかが変わる」という事をムーヴメントを通して実感させました。
おそらくオバマ政権下でも政治は同じエリートの所有である事に違いはないのですが
オバマと「ブッシュが」チェンジを作り出したことに対し、
僕はオバマ『と』ブッシュは歴史に残るべきだと思う。

ブッシュ、
は素晴らしかったです。
見事なまでに「旧体制」を演出してくれました。


忘れちゃいけない
ブッシュ
なしには
オバマ
は無かった。

つまり
革命
に必要なのは
・新しい事
ではなくむしろ
・古い事
なのです。

革命は壊す事から始まる。
マルクスキング牧師
「何を壊すべきか」
をはっきりと指差した点が重要だったのです。

「何を壊すべきか」
を示してくれる思想が無い。
というと前段の議論に戻りますが、

ちょっと言い方を変えて
・現代を看取る
覚悟が誰にも無い。
というのが今の世相なのだと思います。

●いけそうな気がする。今のままで
というのが一番いけない。

素直に言ってしまえば、
僕も今の日本の行政はよくやってると思うのです。
実は「旧体制」と呼べるほどの疲弊した体制にまだなっていない気すらするのです。
でもこのままだといつか死ぬ。と直感はするけど
それを説明できる言葉が見つからない。

誰かが今の体制の脈を取り
「残念ながらこれは旧体制です」
と言ってくれ。そこから革命が始まる。

たぶん文学からそれははじまる。たのむぞ前衛。いい言葉を期待しています。