オウムとはなんだったのか

好きな作家は?
と聞かれたら「いしいひさいち」をあげたいと思っているが
誰からも聞かれない。

いしいひさいち、はすごいんだって。

4コマという宿命的に限定された媒体を活躍の場にしているから
なかなか気づかれないが、
彼ほどジャーナリステックな作家性をもった漫画家はいないと思う。

いしいひさいち、は極めて有能なSMのS役なのです。
M役である「時代」または「人物」がどう「いじめられたがっているか」
それを見抜き、怜悧でしかし温情のある斬り方をする。

いしいひさいちの大問題」というシリーズがある。
http://www.amazon.co.jp/大問題〈’07〉-創元ライブラリ-いしい-ひさいち/dp/4488070582/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1241274442&sr=1-1

90年代から去年までのいしいひさいちの風刺4コマを一巻一年づつ楽しめる。

風刺の標的としての定番はやはり政治家だが、
95年頃の作品では、政治ネタがかすむ位、
やはりオウム真理教がこれでもかという位いしいひさいちに虐待されている。

で、思ったのだ

オウムって一体なんだったんだろう。


オウム以前、と以後、で何が違ったんだろう。
もう10年以上の前の話だからこそ、改めて考えなくちゃいけない。

アメリカの911は戦争だった。
テロとの戦争、という新しい形の戦争ではあったが、
想像の及ばぬ他国、との争い、という意味では従来の戦争の延長にあった。


オウムは違う。
同じ国の中の、下手をすれば我々と一緒に育った人たちが
独特の文化を築き、僕らの生活に対して牙を向いたのだ。

ある種学生運動の延長とみなしてもいいのかもしれない。

学生運動との違いは、
地下鉄サリン以前、僕らは同じ国の同じ日本人の集団が、
僕らの日常生活に殺意を向けていた事など予想だにしなかった事だ。
僕は当時中学生だったが、大人も同じ気分であったろう。

事件は構造を明らかにする。

一連のオウム騒動のあと、
僕らが知見した構造は「オウムという危ない人たちが、いた」ザッツオールだ。

危ない人たちは排除されたので、
僕らはオウム以前の生活に戻る。もう僕らに敵意を抱く集団は日本にはいない。

めでたしめでたし

とは

やっちゃいかんだろう。

1件の重大事故の背後には、
重大事故につながるかもしれなかった10件の危険があり
ヒヤリとさせられるちょっとした手違いが300件ある。
この経験則を忘れてはいけない。

オウムはその重大な1件だった。
オーケー
て事は、ざっくり300件のオウム予備軍があるってことだ。

数年前まで続いたスピリチュアルブームに対し、
僕はある種感心していた。
サイキック信仰が、オウム的( (C)小林よしのり )な行動につながるのではないかと
なぜ、アレルギー反応が起きなかったのか!?という事だ。

宮崎勉事件、酒鬼薔薇事件、の際にあった
ロリコン、ホラー、スプラッタに対するヒステリックな反発がまったくない。

宗教、につながる事に関してのみは、日本社会の自己免疫系が沈黙している

としか思わない。

告白しておくと、
僕もオカルトが好きだ。UMAとか非日常とかサイコとかそっち方面だけど。
統合失調症の人のブログを読みふける、といういささか問題のある癖もある。

さらにいえば、社会の自己免疫系が発現するヒステリックな非合理な反応も大嫌いだ。

でもだからこそ、

なぜスピリチュアルブームからオウムを連想『しなかった』のか
に対して、舌打ちしたくなるようないまいましさを覚えるのである。

オウムはオウム、
スピリチュアルはスピリチュアル、
と仕分けられてしまっている。見事よ。


冒頭に提出した疑問に対する答えはこうだ。
オウム以前、と以後、で
何もかわっちゃいない。

オウムとはなんだったのか、
を社会全体が考えるシステムは働かなかった。
当時は「オウムとは」論が、
ワイドショーで、論壇で
一種のメディアスクラム状態を作っていたが
オウム論、は『オウム学』へと発展しなかった。

代わりに作動したのは、
精神病者を精神病院へと隔離する、例のフーコーが指摘した権力の仕組みだ。
いしいひさいちは、この点においては実にいい仕事をした。

麻原をおちょくり、上祐をくさし、オウム信者をあざ笑った。
彼は悪くない、きっちり彼の職能を果たしただけだ。

巨大なオウムを切り取り、4コマの中に収めて見せた。
その過程でオウムの背景にあった巨大な装置は切り取られた。
繰り返すが、いしいひさいちの仕事としてはそれで正しかったのだ。

僕が、なればと、語ってやる。
オウムは終わっても、オウムへと続いた文脈はまだ終わっていない。
監視すべきはオウムの残党じゃない。
ポストオウムの予備軍よ。

にしても、
ここまで日本おとくいのヒステリー自己免疫回路が働かないと
むしろ、「オウムを産んだ仕組み」を残しておく必然性があるのではないかと疑ってしまう。

決して
「意図的に宗教だけをバッシング対象から外すように誰かが暗躍している」と
陰謀論を言いたいわけではなく。(言ってみるのも一興だが)
むしろ、日本の現代は不可避的に「オウム」を生み出してしまう
固定化したモーメンタムがあるのかもしれない
そこにヒントがありそうだ。