日本の同調文化と共犯者

日本のいわゆる「同調文化」はみんなで悪い事をしたいときに便利

いわゆる日本的な空気。日本人が日本で育てば大なり小なり避けて通れない
まあ日本だからしょうがないよね。
ってつぶやいてしまうようなモヤモヤについてちょっと触れてみたい。

じつは、この手垢のついたベタなネタは意図的に普段の思索から外すようにしている。
なんていうか、この「日本の日本的な文化だな」っていう語列が思考にのぼりそうになったときは
「それはもういいから」ってなるべくワキに置く。
理由は単純で、
そのアプローチはもうオッサン向け週刊誌や新橋の飲み屋で毎日再生産され続けていて
そのやり方だと突き抜けない
のがはっきりしている。それだけじゃなく
「日本の同調文化はなぁ、なんかもう日本的すぎるくらいに日本だよなぁ」
などの言い方が実にオナニッシュで救済を提供していて気に食わないからだ。
日本的なモノを指差して批判して、自分は離脱したつもりでいて、なおその中にいる。
つまり、飽きたし、嫌いなのだ。

それに
丸山眞男(僕はあんまり理解できてない)、山本七平積読中。。)がさんざやりつくしたネタだしね。
最近では内田樹の日本辺境論もあった(読みやすかったので助かった。)

とまあつらつら言い訳を書いて取り掛かる。
なんでわざわざ自分の避けてたネタを取り上げるかといえば
日本の文化が「今なにをしているか」じゃなくて

日本のいわゆる「同調文化」はみんなで悪い事をしたいときに便利

というように「普段触れないけど、日本の文化は何用に出来ているか」について言い出すことに意味はあるな。
と衝動的に思ったからです。

共犯しようぜ。

って実は結構難しい。
これは素朴な感想じゃなくて、数学的にある意味証明されている。
ゲーム理論の一丁目一番地、「囚人のジレンマ」の事だ。
二人の共犯者を自白させたい刑事は、それぞれ別室で尋問を行い
「相手が黙ってて、お前だけが自白すれば罰を軽くする。
 逆の場合、お前の罰はもっと重くなる」
と言うと、両方から自白を引き出せる。
本当は両者が黙秘すれば、二人とも得するのに、そうは行かない。
ざっくりと囚人のジレンマを説明するとこうなる。

俺は裏切らない
っていう事を、シグナルとして送り続けていれば、お互い黙秘で切り抜けられる。
という事も数学的な正しさで証明されている。

さて、冒頭の話に戻る。
日本のいわゆる「同調文化」はみんなで悪い事をしたいときに便利
悪いことってのは小さいことから大きいことまでで、例えば
 −花火禁止の公園で花火
 −みんな明日仕事なのに朝の5時まで飲んで騒ぐ
 −禁止されてるはずのギャンブル
 −妻と子どもをほっぽらかして仲間と飲みに行く。
 −サービス残業
 −談合
 −組織的に不祥事を隠蔽する
などなど。

まあ正直言えばビートたけし
"赤信号みんなでわたれば怖くない”
で結論が出てしまっているんだが

命題を分解させていただければ、
・万一の時の責任は分散されるというリスク軽減
・悪いことをしているのは自分だけではないので"大丈夫"という安心感
・悪いことだとはわかっていたけど、その場の雰囲気などに逆らえないので、という理由

こういう正論を日本の人間関係文化は確かに供給している。
これまた月並みなのを承知であえて言うけど、
欧米みたいに正義を個人が直接参照しに行かれる背景では、共犯関係をつくるのはとっても難しい。
つまりゲーム理論が言っている「共犯のシグナル」を日本はかなりの強さで確認できるけど
欧米ではシグナルが別な方向を向いている。例えば神だったり家族だったりする。

ここで、欧米にも共犯はいくらでもいる。って反証に備える。
そうだよね。
代表的な共犯関係
ギャング、マフィア、ヤクザ
古今、洋の東西を問わず、アウトロー集団は常に時代とともにある。
けど考えてみて欲しい、
実は、
・個人より集団が大事
・目上の者が大事
・礼を重んじる。または戒律がある。
・面子を尊重する
これはさ。ほとんど全てのギャング組織に共通する文化で
そしてほとんどそのままアジア―日本の文化にも当てはめられる。

つまり
ギャングがアジア的なんじゃなくて
アジアがギャング的なのかもしれないじゃない。
ま、それは別な機会に掘り下げてみるとして。

それからエンロンのような大規模な組織的犯罪と隠蔽ってのもあるよね。
(ちなみにこの事件はもっと論ざれるべきなのに、足りない)
でもこの場合、すっごく大きな金銭が共犯者全員を結び付けてた。

日本みたいに、
明らかに隠蔽したって何ももらえないような
いち平社員まで隠蔽に関与してたような事件が池のあちら側であったって例はちょっと知らない。

で、話を戻す。
悪事に沢山の人を巻き込みたい時は
欧米よりは日本でやるととってもやりやすい。
なぜならば、正義であるよりも共犯の「関係性」を大事にしてもらえるからだ。

最後に踏み込む前に
僕はこの文化を良いとも悪いともここでは決めないという事を書いとく。
なぜならば、
そもそも法律ってが高度に昇華した共犯関係なフシがあって。
例えば法の下の死刑も国民を共犯とした犯罪かもしれないからだ。
こんな感じで、
日本の同調文化もひとつの人間関係のモードにすぎなくて
モードのバーを一つあげれば、たやすく法治へと到達できるのが見えているので
単純にどっちが良い悪いって言い切れない。

ここで結論を引き寄せてみる。

こういう共犯関係を成立させやすい文化ってのは、
ズルい人に利用されてしまう危険性があって、
利用されたくない人はそれに気をつけるべきだ。

「悪いことだと言い出す雰囲気じゃないので黙っていた」
それもそれで一つの十分な理由だと僕は尊重する。現場ではそういうことは多々ある。
つまり、無理はいわない。共犯関係を抜け出すのは簡単じゃない。
けど、それによって自分や自分の家族を損なってしまう危険性がある場合には
逆に利用すべきだ。

僕もそうする。