勝ちと負け

考えてみれば当たり前の話で、
希少価値が高いから勝ち、なのであって。だからそれをみんな欲しがる。

逆に一般的には、ほおっておけば負けるように世界は出来ている。

これって極論かな。

けど、ほおっておいても負けない世界ってちょっとヤバイ。
誰もそんな世界を統治できない。民主主義をもってしても、国家として態をなさなくなる。

だってそうだろう

「負けるかもしれないから」
協力し合って、力をだすのであって

別に負けない世界

において、
僕が毎朝元気に出勤して、いろんな利害関係をチマチマ調整する仕事をする義理は無い。
そんなことより、家で屁でも噛んでる方がいい。それでも負けないんだし。

怒らせたら死を与える。という形で専制君主は自分の土地を支配した。
それに対して
参加しなかったら生を取り上げる、という形で現代は統治されている。

僕の見たところでは、どちらもじつはあんまり変わらない。

絶え間なく続く勝負へのプレッシャー。それが人間の暦をまわしている

で、ここまで書くと、
「勝ち」「負け」の中身は当人が決めるものであって、
人間の数だけ「勝ちも」「負けも」ある。
定義づけの問題である。
って話が当然でてくる。

ま、そりゃそうです
何が「勝ち」で何が「負け」かの意味の中身はそれほど重要じゃない。と僕も思う。

僕はむしろ
「勝ち」「負け」それぞれの使用。それらの語を、コトを取り巻く雛形に着目したい。
なんかいつもこれだけど、
不思議な事にこの雛形の作法は何度繰り返しても脳に定着しないから意識的にやるしかないのです。

さて、語の使用について見てみましょうか。


●人間はいつか死ぬ

と言うことは出来るけど

●人間はいつか負ける
とも
●人間はいつか勝つ

と言うことは出来ない。
いや、言いたければいえるんだけど、それが自明ではない事がはっきりしている。

勝ちや負けは、人の身体に引っ付いてこないのだ。

この点だけからでも、
勝敗は人間にあらかじめ与えられたなんらかの状態でないことがわかる。

次に、
前述のとおり、また
●負けるが勝ち
という文が示すように、しばしば「負けとは何か」「勝ちとは何か」が遡上にのぼる。

そしてしばしば
「勝っているか負けているかは本人次第」「あるいみ勝ってる」「あるいみ負けてる」
という結論に落ち着く。

ふむ
じゃあその結論を取り出して現場へ持ち込んでみようか。

例えば、母親に毎日虐待されて心身が傷ついている男の子の所へ言って
「君もあるいみ 勝っている。だから大丈夫」
と言えるのか。

言えまい。

虐待される子どもは負けている。 母親が勝っている。 すさまじく。

その前提に立って現場に姿を現さないと、
父親にしても行政にしても何も仕事が出来ない。

勝ちや負けの中身を取りざたするのは楽しいだろうが、
一旦、負けということにしとかないと、いのちが不可逆に壊れてしまうケースがある。
しばしばある。

勝ちから負けへ
負けから勝ちへ

これらは可逆的だろうが、いのちだけは人間に与えられた唯一の物で、不可逆だ。

だから、いのちを守るために、
勝ちと負けを分けなくてはいけない現場が必ず出る。

別な言い方をすれば、
いのちがある限り、勝負は何度でも出来る。
いのちと引き換えに勝ったとしても。勝ち続けることは出来ない。

勝つことが大事なんじゃない、勝ち続ける事が大事であって。
負けることが問題ではなく、負け続けることが問題なんだ。

これを分解すれば勝負を続けることが大事という文に行き着く。

話は飛ぶけど、
僕は努力をサイコロの目にたとえてこういう風に考えるのが好きだ。


「1〜6」のサイコロと「2〜7」のサイコロ。後者のサイコロが努力した結果得られる。この二つのサイコロで戦うと、前者が勝つ事もある、ただし延々と勝負を続ければ累積点は当然後者が勝つ。 こう考えておけば努力が裏切る事もあるのも甘受できる。 要は努力して、かつ何度も勝負すればいいだけ。

昔のツイートからだけど。


あ、いかん。なんかいい話になりかけている。


じゃあこういう風にまとめる。

僕は最初のほうで
「絶え間なく続く勝負へのプレッシャー。それが人間の暦をまわしている」
と書いた。

一見、絶望諦念しているような文だけど、そしてそういう文脈にしておいたけど
実は違う。

・絶え間なく
・続く
・勝負

これを可能にせしめている現代は、グッドデザインであると言いたいのだ。

なぜならば、
負けても負けても
次の勝負が出来るように and/or させられるように、いのちをそれが続く限り運ぶ。

そういう前提が現代文明を覆っているのだ。

だから以下のようになる。一部再掲

●人間はいつか死ぬ
と言う事は出来るが

●人間はいつか負ける
とも
●人間はいつか勝つ
と言うことは出来ない。

しかし
☆死ぬその日まで、勝負を繰り返せる

これは自明なのだ。

これが自明にならないような時代などいらない。

だから4年後の8年後の、12年後にもワールドカップはあって
その間に無数のJリーグの試合があって。
闘いはいつだって終わらない。